こんにちは。日本語教師のさじここです。
今後日本語教師の資格が国家資格化することで日本語教師個人だけでなく、日本語学校の組織にも変化があると思います。
詳しくは文化庁HP「日本語教育(https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/)」をご覧ください。
今までと大きく運営の仕方、シラバス、教科書などを変える日本語学校が出てくるかもしれません。
「きっかけ」がないと組織は変わらないので、新しいやり方や運営の仕方をを取り入れどんどん組織としていい方向にアップデートされるといいですよね。
でも、その一方で、トップダウン方式でやり方を無理に変えようとする日本語学校も出てくるのではないかと私は危惧しています……😥
そこで今回は、私がずっと自分の中で封印してきた「初級教科書が急に変わったときの話」をシェアしようと思います。
この記事に書いてある話は、かなり前の過去話です。
特定の教科書批判や、新しい教科書に変えること自体を批判するつもりで書いていません。
教科書を変えることが発端になっていますが、あくまで「従来のやり方を大きく変える際に気をつけた方がいいポイント」をお伝えしたく、書いています。
大きなお世話かもしれませんが、「私の勤めていた学校を反面教師にしてほしい」「組織として内部崩壊しないよう計画を立てて実行してほしい」という願いを込めて書きました。
どちらかというと、この記事は日本語学校の専任の先生(学校運営に携わる人、コーディネートしている人)向けかと思います。
あと、別に日本語学校に限らず、他の教育業界(たとえば塾や英会話スクール)、一般の会社などでもありがちな組織運営の問題だとも思いますので、これから独立して学校運営や組織コンサルなどをする方にもちょっとは参考になるかもしれません。
長くなったので、前編/後編に分けました。
この前編では、「起きた出来事」を、後編では「私なりの考察」を書きました。
最後までお読みいただけると幸いです。
教務主任が初級教科書が突然変えると言い出し「常勤vs非常勤」になってしまった話
もうこの上記タイトルで内容はお分かりいただけるのではと思いますが、時系列で私の勤務した日本語学校で起きたことをお伝えしていこうと思います。
※学校、個人などが特定されないよう若干情報を変えています。
以下の話を読んで、「何が問題なのか」「どうしたらもっと良かったのか」など考えてみてください。
本編
ことの発端は、教務主任が辞めて、新しい教務主任がやってきたことです。
その日本語学校は、長年ずっと初級では『積み上げ式の教科書』を使用していました。
新しい教務主任は学校にやってきて半年で、「次の学期から初級の教科書を『積み上げ式』から『積み上げ式じゃないもの』に変えよう!」と講師ミーティングで突然発表しました。
学校は進学を目的とした学校で中国人メインの学校で、ベテランの非常勤講師の中には学校創立当初からいらっしゃり教務のだれよりも長く働いている先生もいます。
どの教務よりも長く勤めているベテラン非常勤勢が「急に変えようとする理由が聞きたい」と質問すると、「学生が全然会話できない。『積み上げ式じゃない教科書』を使えば学生がもっと話せるようになる。やり方を新しくしよう」と教務主任は言いました。
しかし、新しく使用する予定の教科書の教え方に関する説明は一切なく、サンプルとして初級担当者に教科書が配られ、各自「本書の使い方を読むよう」指示されただけでした。
「テストや進度表、小テストなどの評価はどうするのか?」という非常勤の問いにも、教務主任を含む専任の先生方は「今作成中ですので……」と、話が全然進まず。
時間は刻々と過ぎていくのに、テストサンプル等がなかなか上がってこない。
「さすがにこれはまずい!担当する我々も準備ができないし、これでは学生も混乱する!」と初級授業を担当する非常勤が一丸となって教務主任に「教科書を変える時期は夏学期は無理だ」と訴えました。
みんなで訴えた結果、夏学期からの教科書変更は見送られました。
しかし、「秋学期には絶対変える!!」と言われ、学校の方針なのでこれには従うしかないと当時の私は感じました。
夏の途中ぐらいで、非常勤が小テストや宿題などの作成に駆り出されるようになりました(この作業は事務アルバイトとして微々たる手当がついた)。
しかし、肝心の中間、期末テストの内容は決まらず…………
そして、教え方の勉強会もない、どのぐらいの進度で教えていくのかという授業進度スケジュールも、到達目標も決まらない。
教務では抱えきれないので、クラス担任に教え方や進度は一任してはどうか?という流れが出てきます(ほぼ丸投げに近い)。
この学校は週2コマ以上働いている非常勤がクラス担任をしていて、テスト成績評価、個人面談、進路相談などの担任業務は非常勤の裁量でした……
私は当時、通しも含めて週4日がっつりこの学校で働いていましたので、新人なのに担任を任されていました。
しかし、担任業務に関しても別に教務から指導が入ったことはありません。
担任業務で大切なことはすべて横並びの非常勤の先生から教えてもらっていました。
これから使用する教科書は誰もが使用したことがない新しい教科書なので、当然、教科書が変わればベテランの先生方も今までのような余裕は無くなります。
当時も留学生が急激に増えて、クラス数がかなり増えるのも決まっていました。
それなのに日本語教師不足で、専任の先生の数は足りてない状況が続いています。
足りていない部分を、右も左も分からない養成講座修了したばかりの新人の先生で埋めようとしていた学校でしたが、定期的な研修や勉強会はもちろん新人研修もありません。
いきなり現場に放り込まれる感じでしたから、新人の先生はかなり過酷な環境だったので割とすぐ辞めてしまう……
もはや「教師の質」どころではなく、毎学期、ちゃんと先生が揃えられるがどうかの自転車操業な感じでした。
そんな状況下での「新しい教科書にしましょう!!」という号令。
日頃の学校経営、教務(常勤)への不平や不満が膨らみ、「今、教科書を変えられる状況じゃないから秋学期以降も無理だ」と再度、新人ベテラン関係なく初級の非常勤は教務主任に訴えました。
しかし、教務主任、初級担当の専任の先生は譲らず、強行。
ある日「教科書を変えることに賛同できないなら、初級担当を外れてもらって構わない」と教務主任が言い放ちました。
そして、教科書を変えることを猛反対したベテラン非常勤は初級担当から外されました。
私はずっと初級を担当していたので、「このまま初級担当で」と打診がありましたが、私は自分の身を守るために中級を希望し中級へ移りました。
「少しずつ今の教科書で教えることに慣れてきて、クラスマネージメントなど他を考える余裕が見えてきたのに、教科書がかわることで余裕がなくなるのでは?」
「わからないときは誰に聞いたらいいのか?教務は忙しそうで聞けない。というか、ちゃんと質問に答えてくれない……新しい教科書については外れたベテランに聞きにくいしな……」
「授業準備がまたゼロスタートになるのか……」
新人の私にとって、いつも頼りにしていたベテラン勢がいなくなるのはとても不安でした。
これから起きるいろんなことが頭によぎり、いっそのこと違うレベルを勉強したほうがいいかもと思っい中級に移動を決意しました。
私と同じ時期に入って今まで一緒に初級をずっとやってきた仲のいい先生は初級に留まることを決め、その先生とはこの件をきっかけに、溝ができてしまいました。
新しい教科書になった秋学期の初級はぐちゃぐちゃでした。
経験の浅い非常勤の先生とレベル担当の専任の先生でなんとか回しているという感じで、横並びのクラス間で情報が共有されているとは側から見ていて思えませんでした。
そして、他のレベルに追いやられたベテラン非常勤の先生は、これ以上教務主任にはついていけないと退職したり、コマを減らしていく……
その穴を埋めるべく、学校は新人の非常勤を大量に採用して、経験があまりない先生の割合が増えていきました。
元々指導が行き届いていない状態だったこの学校。
なんとか学生指導の質を保っていたのはベテランの非常勤の先生のフォローで、それも今やほとんどなく……舵を取らなければならない教務(専任の先生たち)もパンク状態。
残っているベテラン勢の先生はこれ以上口は出すまいと、自分の担当授業のみ行い、みんなサッと帰って、講師室も以前のように教え合う雰囲気はなくなり、殺伐としていました。
今振り返っても、あの時の講師室は本当に居づらく、私もさっさと辞めて他に行きたい気持ちでいっぱいでした。
でも、今担当している学生を放り出したくなかったですし、中級の授業準備に追われていたので次を探す余力もありません。
そんな私以上に、初級に残った先生の方が辛そうでした。
初級の先生はこなすことでいっぱいいっぱいで、とりあえず目の前のこと……進度表どおりに教科書を進める、小テストをする、学期を無事終わらせる……それだけ考えて行動していた気がします。
せっかく変えた新しい教科書なのに、教科書分析も勉強会もないまま、『積み上げ式の教科書』のやり方がそのまま引き継がれていた気がします。
こんなに、学校をかき乱した教務主任が、冬学期の最初にはもういませんでした。
急に退職してしまったのです。
これには、絶句しました。
日本語学校にお勤めの先生ならわかると思いますが、冬学期は進学関係でめちゃくちゃ大変な時期です。
学生の進路相談や願書のチェック、推薦書の準備など教務がやらなければならないことがたくさんあるのですが、もう教務(専任)だけでは回るはずもない状況です。
傍観していたベテラン勢の先生も流石にまずいと思って、残された専任の先生を手伝うようになりました。
もちろん私もわからないなりに、学生の進学面談や願書チェック、その他事務作業を手伝いました。
そんなこんなで、なんとか冬学期が終わり、気づけば春になっていました。
その後、新しい教科書から元には戻せないので、残った非常勤と専任の先生で話し合いながら教え方を模索。
教科書を変えてから軌道に乗るのに1年ぐらいかかったと思います。
でも正直、教科書のコンセプトとあった教え方をしているのかと聞かれたら、非常に微妙だと思います。
『積み上げ式の教科書』のやり方に、活動的なものをちょっと足しただけのようにしか私は思えませんでした。
教科書を変えたことで話せる学生の割合が以前より増えているという実感はあまりなく、正直変えなくても変えても変わらないのでは?とも思いました(中級に上がってくる学生を見ていてそう思いました)
※これは教科書を変えてから1年〜1年半ぐらいのかなり前の話ですので、今はもしかしたら大きくかわっているかもしれません。
また、教務主任がシェアしていた新しい教科書の語彙導入スライドなどは、教務主任が辞める時に全て学校の共有フォルダーから削除されたそうで、またイチから非常勤も協力して作り直していました。
本当に怒涛の1年だったと思います。
みなさんは、この話を読んでどう感じましたか?
当時を振り返ってみて
私は結局、約3年ほどこの日本語学校でお世話になりました。
上記の話しか書いていないのでこの学校はネガティブな面しかなかったのか……と思われそうですが、そんなことはありませんでした。
それ以上に楽しかったこと、嬉しかったこと、学んだことも数えきれないくらいあります。
正直、新人には過酷な環境だったと思います。
未経験でいきなり担任をやって色々勉強になりましたが、正直いきなり担任なんてやるもんじゃないと思いました(笑)
担任の話が気になる方はこちらの記事をお読みいただけると詳細がわかるかと↓
これから日本語学校デビューしようとする方が、この私の記事を読んで「こんなの大変すぎるから日本語学校はやめておこうかな……」と思われたかもしれません……🥲
日本語学校の中にはちゃんと教務(専任)がしっかり指導してくれ、研修や勉強会が充実している学校ももちろんありますし、担任業務は非常勤にはさせない学校もあると聞きますので、ほんとピンキリです。(日本語学校の選び方のポイントについての記事はこちら)
私は自分の性格的に自由にやらせてもらうのが好きなので、この学校に勤めたことを後悔していません。
人間関係には恵まれていましたし、新人の私でも担任裁量ということで授業の活動で飲み会を企画する活動や学生がギターを弾いてみんなで日本の歌謡曲を歌ったりという、自由な活動もできました。
毎学期の最後に私はクラスの学生と写真を撮っていましたが、今でも見返すとこの学校が懐かしくて泣けてきます。
この記事は新人の頃の非常勤の私視点で書いていますので、専任の先生側の状況は残念ながら入っていません。
誤解があるといけないので書きますが、専任の先生はみんな一生懸命やられていました。
色々引っ掻きまわしていった教務主任も、きっと、「善かれ」と思って改革をしたのだと思います。
ただ、「色々足りない部分」が多かった。
その「足りない部分」についてを次の「後半」の記事で読者のみなさんと一緒に考えられたらうれしいです。
この私の経験が、少しでも誰かのお役にたったら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
このまま後半をお読みいただける方はこちらからどうぞ!
コメント